※非恋注意
※兵助視点
「卒業したら別れる」
そう告げたときの竹谷の顔は今でもよく覚えている。
元々他人にはあまり興味がなかった。
竹谷に付き合おうと言われて、なぜ頷いてしまったのか分からないが、その時この人なら自分自身変われるだろうという希望があったからかもしれない。
一緒にいて楽しさを覚えた。新しい発見だってたくさんできた。
反面、愛しい故の辛さだったり悲しさも知ることができた。
自分の人生のなかでかけがえのないものとなる。
でもそれだけ大きい存在なのに、好きという感情だけで割り切れない根本的な部分は変わることができなかった。
先見の目でみたとき、このまま一緒にいることはお互いのためにならない。
その想いは日に日に募るばかりだった。
他人に興味を持たないようにしていたのも、こんな風に他人に入り込んでしまうのが怖かった表れだったのかもしれない。
本当は離れたくない。
これからも一緒にいたいと言えば、いや言わなくても竹谷ならきっと、この先もずっと二人でいようと言ってくれるだろう。
(でもそれじゃ駄目なんだ)
このままの関係でいるわけにもいかない。
プロの忍者になるのだ。平穏な学園生活とは違う、死と常に隣り合わせの世界。
愛だの現つを抜かしていることは許されない。
(ましてや優しい竹谷だから)
(自分から言わなければ―…)
「竹谷、話があるんだ」
「なんだよ兵助、改まって」
「…卒業したら…竹谷と別れる。もう二度と会わない」
「…兵助…?」
「……」
「……」
「……」
「な…に、言ってんだよ」
「これがお互いのためなんだ」
「なん…だよ…お互いのためって…!勝手に決めつけんな!」
「……」
「…おれは兵助がいたから今までどんな辛いことでも乗り越えてこれたし、立ち向かっていけた。兵助もおれと付き合って、ほんの少しでも支えになれたところもあるんじゃねぇの?なってなかったらそれはそれで悲しいけど」
(支えになっていたどころか…)
竹谷が自分のすべてになってしまった。
そんな自分は最も恐れていたものなのに。
「おれはこの先も兵助とずっと一緒にいてぇし、兵助が必要だよ」
(嬉しい…)
竹谷のこの上ない言葉に思わず涙がでそうになった。
自分なんかをこんなにも愛してくれる人はこの先いないだろう。
(でも…このままじゃ駄目だ)
自分は竹谷のようにできない。
恋愛と責務を両立するだけの器用さを持ち合わせていない。
膝の上に置いた拳に力が入る。
これ以上話したくない。
本当に終わりになってしまうから。
(自分でこうするって決めたんだろ…ッ)
いざ竹谷を前にし、引け腰になってしまう自分を奮い起こす。
すっかりカラカラになってしまった喉から、言葉をゆっくりと絞りだした。
震えが表にでないように、一言一言気丈に。
「…おれも竹谷にはかけがえのないもの沢山もらったし感謝してる。でもそれはこの学園生活での話だ。学園を出てプロの忍者になるんだ。恋沙汰なんて不要だろ」
「でもおれは兵助が好きだし、ずっと一緒にいてぇよ」
「そんなもの理想論でしかないよ」
「理想論ってお前…」
「それぞれ仕える先も環境も違う。今後敵対することだってあるかもしれない。闇で動く忍びにとって、他人と行動を共にして馴れ合うことなんてしたら本末転倒だろ。現実見ろよ」
「…そんな言い方ないんじゃねぇの。少なくとも一緒に過ごしてきた仲じゃねぇか」
「そういう考え方だから竹谷は忍びに向いてないんだよ」
「……」
「情に捕われてばかりじゃ真っ先に死ぬぞ」
「……」
「卒業したらさよならだ」
「…兵助はそれを望むんだな」
「…ああ」
「……分かった」
竹谷に想いの丈を伝えて、独り、部屋に戻る。
部屋の戸を閉めた途端、緊張の糸がぷつんと切れて、畳へしゃがみこんだ。
「…れだって…竹谷と一緒にいたいよ…」
竹谷の言葉が何度もフィードバックする。
竹谷は一緒にいようと言ってくれた。
それは至極嬉しい言葉のはずなのに、今の自分には何よりも辛い。
「ぅあああああッッッ!!!!」
涙が止まらなかった。
痛みを伴うことなんて始めから分かっていたのに、苦しくて、苦しくて、どうしようもない。
「いや…だッ…、やだ…ったけや…ッ」
気づけば竹谷よりも好きになっていた。
竹谷のように全身で好きだと伝えることはできなかったけれども、実際はなによりも竹谷に依存していた。
竹谷がいない毎日なんて想像するだけで生きた心地がしない。
「っ…やだよはちッ、離れたくない…っ」
ずっと傍にいてよ…ッと、決して口には出せない言葉を何度も呟く。
一緒にいられれば他に何もいらない、考えないようにしてきた想いが溢れかえってくる。
竹谷がいればそれだけで生きていけるのに、竹谷がいると前へ歩き出せない。
その葛藤が辛くて、あれだけ悩んで答えを出したはずなのに、あっさりとぬり替えられてしまいそうな想い。
誰よりも愛しくて大切な竹谷が、頭のなかで残酷にも自分へ笑顔を向けていた。
「はちっ、はち…ッ…すき…っだいすきなんだよ…ッ」
散々嗚咽を漏らし、泣き喚いたら少しすっきりした。
薄暗い部屋はひんやりとしていて、頭を冷やすのにはちょうど良い。
こんなにも感情が乱されるなんて、自分の選択も強ち間違っていなかった気がして嘲笑ぎみに鼻で笑った。
「…もう涙も出ないよ…竹谷…」
この凝り固まった頑なな考えをとっぱらえたらいいのにと何度思ったことだろう。
でも自分にはそういう生き方しかできない。
『ばか兵助……分かってんだよ』
戸の向こうでそう聞こえた気がして、枯れたはずなのに、また一筋涙がこぼれた。
別れを告げてから、まともに竹谷と話すこともないまま卒業式の日を迎えた。
顔見れば断腸の思いで決心したことが崩れさってしまいそうな気がして、自然と避けていたからかもしれない。
「じゃあな」
「元気でな!」
「死ぬなよ」
「縁起でもないこと言うなよな~」
クラスメイト達が手を振って学園の門を出てく。
「兵助、元気でね」
「勘ちゃん」
「六年間兵助と一緒で楽しかったよ」
「うん。おれも勘ちゃんと学園生活送れて良かった」
「また…会うことはないかっ。でも心では繋がってるよね。いつでも兵助の味方だよ」
「ありがとう。勘ちゃんも達者でね。いつでも大切に想ってるから」
「うん。じゃあそろそろ行くね。兵助、元気でね!」
親友が笑顔で去っていく。
六年間、恋人とは違う意味で支えてもらった。
揺れる長い茶色の髪に、生きのびて、と心の中で祈った。
「兵助」
一番聞きたくなかった声。
かつては一番好きだった声に名前を呼ばれて、全身が震え竦む。
「竹谷……」
竹谷を前にし、うまく言葉が出てこない。
“今までありがとう。元気で”
その一言だけなのに。
勘右衛門のときのように笑顔で手を振って別れを―…
「あっという間にこの日が来ちまったな」
先ほどまで三郎や雷蔵、委員会の後輩たちと別れを惜しんでいた竹谷は、目元が赤くなっていた。
竹谷の泣いている姿は新鮮で、こんなにも一緒にいたのに、まだ知らない顔があったのかと思った。
「お別れだな。今まで…ありがとう…」
そう竹谷に告げて、また涙腺が緩んでくる。
あんなに枯れるまで泣いたというのに、まだ尽きないなんて信じられなかった。
竹谷の顔を見ることができなくて、言うだけ言って、「じゃぁ」と学園の門を出ようとした。
「兵助ッ、おれ…っ」
「さよなら、竹谷」
「…ッ……」
いまここで振り返ったら、また二人でやり直せるかもしれない。
やり直したい。
竹谷と一緒にいたい。
お願いだから、傍に―…
(でも…これでいいんだ)
竹谷が後ろでなにか言いたそうにしていた。
それでも。
想いを押し殺して、振り返らずに先へと足を進めた。
卒業以来、一度も竹谷とは会っていない。
忍びとして生きると決めてから、色んなものを見てきた。
人の生と死の狭間、増悪の塊、国が滅びるところ、どれもとってもロクでもないものばかり。
でもそれは自分が選んだ道なのだから、悔いても仕方がないし悔い改めようとも思わなかった。
忍務の帰り、ふとある街に立ち寄ったときだった。
数年ぶりに見る懐かしい後ろ姿。
相変わらずの少し痛んだ髪に、見間違える筈もなく、考えるよりも先に傍に寄っていた。
(竹谷、また少し背が伸びてる…)
顔も以前よりも風格のあるものになっている。
成長というべきか月日の歳月の変化が見られて、自然と頬が緩んだ。
「…!」
竹谷と手をひいて一緒に歩いている幼い少女。
楽しそうに竹谷が笑いかける。
(ああ、竹谷にはそういう顔がやっぱり―)
家庭を作り、幸せになっている竹谷を見ても不思議と焦燥感は湧かなかった。
むしろほっとしている自分がいる。
竹谷、良かったな―
そう聞こえた気がして、竹谷はバッと勢いよく後ろを振り返った。
そこには誰もおらず、街ゆく者は各々の意志をもって忙しそうに歩いていた。
「お父さん?どうしたの?」
「いや…」
竹谷が振り返ったとき、兵助は既に街の外れにいた。
“はち”
そんな風に口に出して呼べたことはなかったけれど。
もし別の時代に生まれ変わってこれたら、今度は一緒になれると―…
「なんてガラでもないな」
そんな淡い期待は胸の奥底に押し込めて。
遥か彼方の日に叶わぬ想いを馳せ、闇の世界へと再び姿を消した。
了
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